恐怖の疑似体験

「人とは何か」という問いをつきつめても答えは一つではない。その問答の過程で、無駄に自分を責めて病むこともある。

よって私が好むのは「ヒトとはどういう生き物か」という問い。

生物学的な視点からヒトという生き物を紐解けば、答えは絞られる。

そして、個人の資質のせいではないとわかるので、無駄な自己否定がなくなる。他の人への展開も効く。だから好き。

という私の好みにドンピシャリの本を見つけました。しかも定義が短くてよい。

今回は、この本にあった「不安」の項をとっかかりに、日常生活への展開を考察します。


p30「不安というのは、
小さな恐怖が慢性的に積み重なって解消されない状態」。

そして
「恐怖というのは、
生存が脅かされる危険な状態を避ける心の働き」だそうな。

しかし、現代の生活は安全になり、生存が脅かされる危険な状態は減っている。ならば、恐怖とそれによって生じる不安は減りそうなものである。

しかし、安全になったからこそ「小さな危険を過大視して、恐怖を慢性化させている」んだそう。それが現代の不安の源だと。

生存が脅かされる危険がなくなったのはありがたいことなのに、それが結果的に不安を高じさせているんだなんて。あらあら……。

さらに、生存が脅かされる危険な状態にあったときの対応は、戦う・逃げるの他に、「隠れる」というのもあるという。

しかし、隠れるを選択すると、危険が去ったかわからないので警戒感が持続する。

警戒している間はコルチゾールというストレスホルモンが分泌され続け、心身のあちこちに悪影響を与える。

だから、不安を減じさせるためには、恐怖が来て去っていくことが大事。去ることによって、身体が平静な状態に戻る。

ということは、不安を減じさせるためには、恐怖の疑似体験が有効。

恐怖、つまり生存が脅かされるような危険がきて、去っていく。そういう機会を意図的に作るのだ。

恐怖の疑似体験にもってこいなのがスポーツ。

殺るか殺られるか、

そんな危険な状態を、死なないようにルール化し、空間的・時間的に区切ったものがスポーツだから(と書くと怒られますかね、笑)

恐怖がガッときて、ザっと去っていく。その時間が終わればおしまい。その空間を離れたらおしまい。

終わりがあることで、身体が恐怖が去ったと認識し、不安が慢性化することを防ぐ。

生存にかかわるような危険=不安を疑似体験するには、殺るか殺られるか、つまり戦う相手のある種目がいい(はず)。

剣道や柔道のように一対一で対戦する種目は、より恐怖を味わえそうです(素人仮説)。

チーム種目は、狩りの醍醐味もあわせて味わえそうです(素人仮説)。

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バレーの場合、強いサーブがくるときは殺られる恐怖でいっぱいです。自分がサーブを打つときは殺る気満々です(なんて書くと、怒られますかね、笑)。

対人種目でなくても、身体の限界に挑む種目もいい(はず)。生存が脅かされるような危険を味わうから。

スポーツでなくても、子どもの遊びなら、鬼ごっこ・追っかけっこ・平均台わたり。スリルがある遊びがいい。

かくれんぼも、遊びの範疇なら終わりがあるので大丈夫。

レジャーなら、お化け屋敷やジェットコースターもいいんだって。

そして、日常生活でも、おふろで息を止める遊びや、包丁をがっつり使う千切りなんかも、生存が脅かされるような危険の疑似体験にいいんじゃない。

ん!?
千切り!?
生存が脅かされるような危険!?

あれ、あれれ。

これは、マインドフルネスとつながる!

マインドフルネスの定義、再び。

「『今という瞬間』に余計な判断を加えず(中略)
自分の人生がかかっているかのように真剣に集中して注意を向けること」

この「自分の人生がかかっているかのように」が、恐怖の定義の「生存が脅かされる」と同意だぁ。

マインドフルネスも、恐怖の疑似体験だったのね。そして、その恐怖が「来るけども去る」ことが大事だったのね。一人納得。

【まとめ】
安全になった現代。安全になったからこそ、小さな危険を過大視して、恐怖の慢性化つまり不安を高じさせている。

現代人に必要なのは、恐怖が来て去る状況を疑似体験すること

したがって、スポーツなどで恐怖の疑似体験をすることによって、不安を減じさせることができる。

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殺すか殺されるかの状態を疑似体験するのに、ゲームはどうなん?という疑問。

たしかにゲーム内でも疑似体験できますが、身体を動かして恐怖を体感するのが大事だと思うのです。

恐怖を体感している間は、ストレスホルモンがだーだー出て、身体的な症状ががっつりでる(はず)。しかし、終わったら平常に戻る。

その差がはっきり出るのは、体全体を動かしているときだと考えます。

だって、原始人の時代はゲームなんてないから、ヒトの体の仕組みとして脳内活動だけで完結するようになっていないと思うのです。

そういう意味で、体を動かさない恐怖の疑似体験では、効果が少ないのではないでしょうか(素人考察)。

そしてもう一点。
特に男子、聞きたまへ。

生存に関わるような状態の疑似体験といって、遅刻ギリギリで登校するのはダメですよ。事故に遭うと、疑似体験ではすまなくなります。

以上、恐怖の疑似体験の考察でした。

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マインドフルネスの考察シリーズはこちら




by e-sakamichi | 2021-07-29 02:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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