反応 - 12 / 認知とは

さて、反応の話の本丸、認知とスキーマの話になりますよ。

まず、認知の話。


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ムスメが小 3のころ。友だちの服装を比べて、スカートをはいている子とそうでない子を分けて指摘をしました。

これは、比べるというものの見方、つまり比較という認知が発達したから起きたことでした。比較という認知はこのころには確立されています。

よって、ただ比較しただけ。それに対して、「この子はこうやって仲間はずれをしようとしてる。意地悪だ」なんてレッテルを貼ってはいけません。

これは比較という認知を獲得した年代に起こりがちなこと。比較によって世の中を理解しようとしている最中なのでした。


このことから 3 つのことがわかりました。

1. 認知は必要なもの

比較という認知は、複雑な事柄を比べることによって理解しようとする「ものごとのとらえ方」です。

このように認知とは、ものごとのとらえ方のことで、複雑な事柄を理解するために用いるもの、と言えます。

認知がなければ、自分を取り巻く世界を理解することができません。認知とは、複雑で広い世界をどうにかして理解するために獲得した能力なのでした。

ゆえに、認知そのものは生きていくのに必要。


2.使い方が問題

生きていくのに必要な認知だけど、使い方を間違うとメンドクサイことを引き起こします。

比較の認知をモノに対して使うのはよいですが、これが人に対して使うと困ったことが生じる。

例えば、小 3 ごろになると、お友だちが持っているのにわたしは持っていない、あの子は足が速いのにわたしは遅い、というように、目に見えるモノと能力についての比較が生じます。

これがよくない方向に働くと、自分は足が遅いからダメだと自分を否定したり、あの子はあれを持っているから幸せそうだと人を妬んだり恨んだりすることに発展します。メンドクサイですな(笑)

よって、認知は使い方を間違うとメンドクサイことになる。


3. 年齢的なこと

小 4 ぐらいまでは、実際に目に見えることについてしか考えられません。よってこの年頃は具体的な対象から離れたこと、つまり抽象的なことは理解できません。抽象的なことが理解できるのは高学年以降です。

というように、認知のレベルは年齢によって異なります。

と考えると、子どもの困った行動も、年齢的な認知発達という視点から見ると、しょうがないんだなと思えることが多々あります。

実際に目に見えることについてしか考えられない 小 4 以下の子に、人の心という見えないものを察しなさいというのは無理な話かもしれません(仮)。発達上無理なんだもん。赤ちゃんに文字を読みなさいと言ってるのと同じかも。

ゆえに、困ったとしても、その行動だけを見てあげてほしいのです。年齢的にしょうがないんだと。

そして、その子の全体を否定したり、問題のある子だというレッテルをはらないでほしいのです。全否定やレッテルはりは、別の問題を生じます。しかもホントにやっかいな問題を。だから、全否定やレッテルはりはバツ。

しかし現実問題として社会上のトラブルにつながるので、指導も必要です。

よって、子どもに対しての指導は困った行動だけに限定し、年齢的にありえることだけどねという解説をするといいのかなぁ、と思うのでありました。

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以上、前置きが長くなりましたが(笑)、認知は生きていくのに必要な能力だが、使い方を間違うとメンドクサイことになる。

使い方を間違ったためにメンドクサイことを引き起こす認知を「歪んだ認知」と言います。

「歪んだ認知」についての説明は、長くなりますので次の記事へ。





by e-sakamichi | 2018-03-20 02:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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