反応 - 10 / バッタ

ちょっと小難しくなってきたので、
ネタはさみます(笑)。

「いってきまーす」と家を出ていったムスメが、しばらくして帰ってきた。

玄関をバーンと開けでっかい声で
「お母さーん、バッタ死んでたー!」

そしてバッタをわたしに手渡して、風のように去っていきました。バッタの死骸を母に渡すために戻ってくるなんて(笑)。

お母さんが喜んでくれると思ったんでしょうね。そして実際に嬉しかった(笑、再)。


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と、朝からほほえましい(?!)ことがありました。思い出し笑いをしながら、ふと気がついた。この話、今までの話に結び付けれるぞい!(笑、三度)

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バッタの死骸がある。これはただあるだけ。

しかしムスメの場合、そのバッタを見て「お母さんが喜ぶ」という認知(とらえ方)をしました。

その背景には「お母さんは虫が好きで、虫を見せると喜ぶ」というスキーマ(信念・信じ込み)があった。

ゆえに虫を見たら「お母さんが喜ぶ」という認知をしました。その認知から生じた感情はおそらく「やったー」という喜びだったでしょう。そして、お母さんに見せてあげようと持って帰ってきた(表現)。これが彼女の虫に対する反応でした。

しかし、虫が苦手な子だと、同じ虫をみてもこんな反応はしない。


虫はただいるだけなのに、反応はそれぞれに異なる。
このことから言えるのは、3つ。

1. 出来事はただあるだけ

虫はただいるだけ。なのに反応は様々。
同様に、出来事はただあるだけ。それ自体が何かするわけではない。

なのに難しくなっている。いや、難しくしている。
難しくしているのは何?


2. 難しくしていたのは自分

虫はただいるだけなのに、それを不快にしていたのはその人自身。

同様に、出来事はただあるだけなのに、それを難しくしていたのは、自分自身。自分の中のスキーマ(信念・信じ込み)と認知(とらえ方)が、出来事を難しくしていたのでした。


3. 評価

「お母さんは虫が好きだから喜んでくれる」というスキーマと「お母さんが喜ぶ」という認知は、この時点ですでにムスメの中に確立されていました。

それは今まで彼女とわたしの間にあった出来事の中から、彼女が「このパターンよくあるぞ」と気がついた、つまりパターン認識をして確立されたスキーマと認知でした。

そして、そのスキーマと認知を強化していたのは、わたしが喜ぶという反応でした。もしわたしが途中で嫌がったらこのスキーマと認知は消えていたでしょう。

ということは、自分の反応に対する他の人の反応が、スキーマや認知の強化につながるのでは……という仮説。

自分の反応に対する他の人の反応は、評価と言いかえられるかもしれません。

じゃぁ、その評価って何よ……。
この話は、また追々。

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バッタ話で、もうひとネタ。

ムスメは死骸だと言っておったが、死んだバッタにしては体がきれいでした。

バッタは夏の生き物でしょ?だったらもっと風化してるんじゃない?と思いながら、しばらく眺めていました。

そしたら、ぴくっと動いた。おおぅ!!!

早速調べると、大型のバッタのうちで唯一越冬するバッタ(ツチイナゴ)でした。そう、この子は死骸ではなく生きていた。

越冬するバッタなんて考えてもいなかったので、わかって嬉しい。会えて嬉しい。ムスメ、ありがとう。

そして、これも今回の反応の話にからめると、また新しいことが見えてきました。

「バッタは夏の生き物である。ゆえにこの時期はいない」という誤ったスキーマ(信じ込み)がありました。だから「死骸である」と認知をしました。

しかし、じっくり観ると死骸にしては風化していないことに気がつきました。

よって「死骸である」という認知が誤っているかも……「バッタはこの時期いない」というスキーマ(信じ込み)が誤りかも……という疑いが生じたのでした。

そういう疑いがあったから、ぴくっと動いたときもびっくりしなかったし(むしろ嬉しかった)、図鑑で調べたときに「越冬」という文字をみつけて嬉しかったのでした。

もし、「この時期はいない」という信じ込みが正しいと決めつけていたら、「死骸」という認知をくつがえすこともなかっただろうし、しばらく眺めることもなかったでしょう。

このことからわかったのは、

自分が正しいと決めつけると、認知(とらえ方)も歪み、目の前のことをありのままに観ることができなくなる、ということでした。

色眼鏡をかけて見ているのと同じ。

「あの人はこういう人だ」と決めつけると、そういう認知しかできなくなる。

「世の中は悪いことだらけだ」という決めつけがあれば、悪いところを探すクセがつき、悪いことがたくさん見つかる。そのことによって「世の中は悪いことだらけだ」という決めつけが強化される。

決めつけると、ものごとをありのままに観ることができなくなる。

決めつけとは、誤ったスキーマ(信念・信じ込み)とも言えるでしょう。誤ったスキーマによって、認知が歪むこともあるのでした。

ゆえに、そのスキーマは誤りではないか?誤ったスキーマによって認知が歪んでいないか?という視点で、ものごとを見直すことも必要なのでした。

ちゃんちゃん。

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--- まとめ ---

・出来事はただあるだけ

・難しくしていたのは自分のスキーマと認知

・評価がスキーマや認知の強化につながる(仮)

・決めつけると、ものごとをありのままに観ることができなくなる



Commented by たま at 2018-03-17 08:39 x
うーん、深い!バッタの死骸からそこまで発展するとは!

出来事はただあるだけで難しくしているのは自分って、まさにそうなんですよね。禅でいったら「あるがまま」で、人が色(メガネ)をつけてしまっているというのと同じ。明鏡止水的心持ちになれれば、困りごとも減るのかも…。

反応 - 6 へのコメントをいただいてさらに自分なりに考えたのだけど、心が傷ついて(期待が裏切られたり、望んだ結果とは異なることをされる)怒るなら、心が簡単に傷つかないように自分で心の筋トレをして鍛えたらいいのかしら?たとえば始めから過剰な期待をしない(相手の現状に応じた適切な大きさの期待をする)とか、自己肯定感を高める(それくらいで怒らない寛容なわたし)とか、そういう方向でいってみたらいいのかな。つまり受け止める自分の側の改革。

---すみません、わたしのことを全然ご存知ないであろうsakamichiさんにこういう込み入った話をしてしまって。ムスコさんが小学生の小さい頃からずーっと読んでいたので(茶道も少しやっていて、たまに禅っぽい話がでてくるのにとても興味がありました)、sakamichiさんならこういうお話ができるかなと思ったのです。本格的に禅の勉強をされている方に聞けるほどの知識もなく、でも全然興味のない方に話しても全く理解されないし、ははは。

こちらもただのシュフで、絡むつもりではないのでご安心ください。(^^)
Commented by e-sakamichi at 2018-03-17 22:09
たまさん

バッタ、やったー(笑)

>禅でいったら「あるがまま」で、人が色

そうなんですー。そこに結び付けていただいて嬉しい^^。そうそう、禅の話は相手を選びますよね。そして、お茶。わーまたまた嬉しい^^。
スキーム(信念)の話をただいま書いてるところなんですが、禅の影響もろ被りだなぁと自分でも思いました(笑)


>心の筋トレ
Niceな言葉選び、好き!
最終的にはその話まで書けたらいいなと思っています。アンガーマネージメントの本とからめて。
そこまでたどり着くのか(笑)
Commented by たま at 2018-03-18 07:21 x
続き、楽しみにしてますっ!
by e-sakamichi | 2018-03-17 02:00 | 本 & ひとりごと | Comments(3)

Web 内覧会、家事効率化、生き物、石ころ、お茶、本。大1男子&高1双子女子の母。


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