瞬間の記録

ブログが更新できない時期がありました。

書けなかったし、書かなかった。

書けなかった理由は、文章力の低さの自覚。

夏目漱石をはじめとした緻密な文章を読むようになって、自らの表現力の低さを思い知った。着眼点の凡庸さと、昇華した先のレベルの低さも思い知った。ゆえに書けなくなった。

そして、書かなかった理由は、書きたいと思うことがなかったから。

書きたいと思うときは、心が動いたとき。よって書くことがないということは、心が動くことがなかったのか、それともその瞬間を逃していたのか……。

今までの自分の行動を振り返ると、心が動いた瞬間には必ずそれを象徴する写真を撮っていた。何に心が動いたかということを、写真を撮る行為を通して絞り込んでいた。

わたしにとって写真を撮るという行為は、ただの記録ではなく、その時に心が揺れ動いたという瞬間の証だったのでした。

書かなかった時期は写真を撮ることが少なかったと反省。写真を撮ってなかったから、心が動いてもその瞬間はすぐに過ぎ去り忘れてしまった。

よって、意識的に写真を撮るようにしたら、書きたいことが湧きあがってきた。書き始めると連鎖的に書きたいことが湧きあがってきてきた。そして、それに見合う写真をまた撮る。

わたしにとって写真を撮ることは、心が揺れ動いた瞬間の固定で、文章を書くことは、その瞬間の昇華なのでした。

昇華とは、その事象をそれだけのことに留めず、思考の域までもっていくこと。ゆえに、どんなにつたなくても、その瞬間瞬間を記録し書いておくことは、自らの深化とその先の方向づけに必要なのだと、あらためて思った次第。

そして、瞬間の記録を残しておくことの効用は、その場限りではない。

折に触れて読み返すことによって「あのときは大変だったけどよくやってたね、わたし」と自らを励ますことができる。

そのときは一大事に思えたことも、流したり乗り越えたり消化した過程が詳細に記載してあるゆえ、今の目の前の困難もやりすごすことができるようになった。

そして、他の人の困難も、それを乗り越えることを信じて見守ることができるようになった。

よって、凡庸でもレベルが低くても自己満足でもいい、心が揺れ動いた瞬間を記録していこう。その積み重ねがわたしの人生なのだから、と開き直ることができました笑。

ということで、これからは意識して写真を撮ろう、そして書こうと思った次第。これが今の瞬間の記録。


--- おまけ ---

スマホで撮った写真は使いたくない主義ですが、それは画質の問題だけではなかった。

一眼レフ&単焦点レンズで写真を撮る場合、撮る対象を綿密に絞り込まないとあやふやな写真になる。例えば、子どもがかわいいと思った瞬間を撮るにしても、被写体の目に焦点があっていないとそれは表現できない。

焦点をあわせて構図を決めるという行為をもってして、自分が何に心を動かされたかということを厳密に絞り込む取捨選択をしていたのでした。

スマホで写真を撮ると全体が撮れてしまうため、自分が何を記録したいのかが絞り込めないから好きじゃないんだ……。ということに、今回改めて気がついた。ふむふむ。

ということで、撮るのは一眼レフ&単焦点レンズがわたしにとってはベスト。

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「自分の心の働きを精査するには、一眼レフと単焦点がベスト」ということを表現したいのだけど、カメラを撮るには他のカメラじゃないと撮れません。よってデジカメの残念写真。

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日本の名随筆 (別巻76) 常識

関川 夏央(編集)/作品社

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p 242『常識-静かな狂信にあらがう力』 関川 夏央

p 243「なにかを書いているうちに、やがて自分の姿も考えもおのずと相対化されてしまう。(中)

そして相対化の果ての『常識』から、いつか『個性』や新しい考え方が導かれている。」

by e-sakamichi | 2018-02-12 02:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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