双子の話 - 3 / 現実の双子は
2017年 07月 31日
ということで、双子の物語に対する違和感を、ちょっと消化できました。
さて、ここからは現実的な双子のお話です。
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親にしてみれば、双子というのは、ただ同じ日に産まれただけで、きょうだいである、という認識です。
同じ環境で育っていても、きょうだいはそれぞれ性格が違うでしょ。そんなかんじです。
しかし、きょうだいといっても、双子の場合、どっちが上とか下という区別はないし、一切しません。あくまでも同列。
ゆえに、双子ときくやいないや、「どっちがお姉さん?」という質問をし、「お姉さんだからしっかりしきゃ」なんていうのは愚行ですよ!!!(黒いsakamichiさんの本音)
そして、双子だから通じ合っている、というのも幻想。
通じ合っていたらケンカなんてしませんからー。
ただいま反抗期突入のふたりのケンカには、ほんと辟易してます。
通じ合っていると誤解されるのは、
学校も交友関係も同じゆえ、状況の説明がいらないから。
ただそれだけだと思います。
ただ、同じ環境で育つゆえに、二人の違いは、より際立ちます。
よい点も、わるい点も。
しかし、その違いを、「〇〇ちゃんはできるのに、あなたはできない。頑張りなさい。」というような、比較による脅迫(笑)という手段は、とらないようにしています。
これをやると、相方の存在が負担になってしまうからね。
あくまでも、個々人の問題としてとらえるようにしています。
双子の特権として、遊び相手が常にいる、という点は、否定できません。
これは確かにある。
今日も、二人でプールに出かけてるし。
お友だちだと、時間をあわせたり待ち合わせが必要だけど、一緒に暮らす二人ゆえに、時間と気があったら即レッツゴーとなれるのは、双子の特権です。
かといって、いつもべたべたしているわけでもありません。
そこにお友だちが入ってきたら、お友だちを選びます(笑)。ときには、友だちを二人で取り合うことも。たはは、とほほ。
双子の特権といえば、人が集まることも、その一つ。
なんせ、同学年の子が二人家にいるので、遊びに行けば、遊び相手を二人もゲットできる。
だから、お友だちが集まりやすい。
それに、一人とケンカをしても、もう一人と遊べばいいですからね(笑)。
そうやって、もう一人と遊んでいるうちに、ケンカしてたほうの子とも、仲直りをするまでもなく仲直りできて、一緒に遊びだしたりするようです。
といっても、うちの人たちは、お友だちと決定的になるようなケンカをすることはないのですが。
ここにも、常に別の人間と一緒にいる双子ならではの利点もあります。
一緒に暮らしていても、同じ考えにはならない。同じ価値観ではない。
ましてや、他の人なら。
ゆえに、人に対して、よい意味での諦めもあるように思われます。
だから、よその人とはケンカをしない。
そして、双子の二人の間で、どんなに激しくケンカをしても、翌朝にはケロリ。根に持つことはありません。
根に持っていたら、暮らしていくのに不便が生じますから。
人に対して根に持たない、という点も、双子ゆえに身についた資質かもしれません。
そして、どんなにケンカをしても、
決して相手を完全に見捨てるようなことはない。
相手に見捨てられるとおびえることもない。
よって、彼女らの根っこには、自分は決して一人にはならない、という絶対的な肯定感があると思うのです。
本人たちは気がついていないだろうけど(笑)。
気づかないくらい、そこはかとなく、当たり前にある絶対的な肯定感。
絶対的とは、比較が必要ないということね。
ゆえに、「わたし、わたし!」みたいに出しゃばるようなことはしなくても、他からの承認がなくても、自分というものを保っていられる
この絶対的な肯定感があるから、
この人たちは、人を信頼し、人を好きになれるんだろうな、という気もしています。
そんな人たちだから、また人が集まる。
ということで、双子のお話。
次は、双子をとりまく家人についてのお話。
by e-sakamichi
| 2017-07-31 02:00
| 子ども
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