絶対的と相対的

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またまた富士山。
前日の日中の気温上昇で、雪が解けた。
谷に溶け残った様が美しい。

さて、前回の記事にて、
「朝一番にきれいな富士山を見ると、絶対的な肯定感を感じる」という主旨のことを書きました。

よって今回は、「絶対的とはなんぞ?」というお話。

絶対的という言葉を説明するのに、わかりやすい例は音感。
絶対音感。

絶対音感とは、
音を単独で一つ聞いただけで、その音を当てることができること。

そこに比較は必要ない。

よって、絶対とは、物事を確定するにあたって比較を必要としないこと、となります。

絶対に対する言葉は、相対。

相対とは、比較をすることによってその物事を確定すること、となります。

ゆえに、絶対的な肯定感は、
比較なんて必要なくて、「自分は自分でいい、ただそれだけだ」ということ。

対して、相対的な肯定感には、比較がつきまとう。
「自分はあの人に比べていい」。

ゆえに、常に人と比較することでしか、自分を肯定できない。
そして、比較対象をさげすむ感覚も生まれる。
また、比較対象によっては、自己否定につながる。「あの人に比べてわたしは…」という自己卑下。

よって、相対的な肯定感では、いつまでたっても幸せになれない。
持つべきは、絶対的な肯定感。

この絶対的な肯定感を、
子どもに持ってもらうには、
親はどうしたらよいのでしょう。

一つ目は、
子どもの存在そのものを肯定すること。

あなたがここにいる、ただそれだけでいい。
これを日常の中で子どもに伝えていく。

だけど、これは意識しないとなかなかできない。
ゆえに日常の習慣の中に組み込むといいかなぁ。
うちでは、寝る前の抱っこときにやっています。

どんなにケンカをしていても、
寝る前の抱っこのときは全て忘れて、
目の前にいる子どもに「ここにいる、それだけでいい」というような言葉を言いながら、
熱烈ハグ、そして、ほっぺにチュー(笑)。

(蛇話:ムスコはもうチューしてくれなくなった。寂しい~~)


二つ目は、
子どもを条件付きで肯定するのをやめること。

条件付きの肯定とは、
「テストの成績がよかったから、あなたはいい子」みたいなほめ方のことを指します。
これをやってると「テストの成績がよくないと私は愛されない」という歪んだ認知を子どもに植え付けることになります。

三つ目は、
比較付きの肯定をやめること。

比較付きの肯定とは、
「〇〇ちゃんは片づけないのに、あなたは片づけて偉いね」みたいな言い方です。

ほめてる側には無自覚なこういう言い方によって、
子どもは「わたしは〇〇できるからいい子なんだ→〇〇できないと認めてもらえないんだ」「○○ちゃんと比べてできているんだ→〇〇ちゃんと比べてできないと認めてもらえないんだ」という感覚を蓄積していきます。

つまり、子どもは、条件や比較がないとわたしは肯定してもらえない、と思うようになる。
そう、この肯定感は相対的なのです。

相対的な肯定感では、いつまでたっても自分を肯定できない。
ゆえに、大人になっても自分を肯定できずグラグラしてしまう
……と思うのです。


四つ目は、
批評をやめること。

子どもが絵を持ってきて「見て!」というときに、
つい「ここはこの色がいいんじゃない」みたいなアドバイスをしがち。
こちらはアドバイスのつもりでも、相手の選んだ色を否定しているわけだからね。それは批判の域に入る。

ゆえに、批評はしない。
「見て!」というときは、ただ見てほほ笑む。
アドバイスをするときは、先に「アドバイスが必要ですか?」と聞く。


条件・比較付きの肯定、批評は、クセ。
意識しないとなおらない。
逆に、意識をすればなおる。


ほめ方は間違うと毒になる。




by e-sakamichi | 2016-11-28 17:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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