図書館 - 4 / メガネと雑談
2016年 07月 30日
考察シリーズ、「図書館の活用法と効用」。
「他人と話すことが嫌いなわけではありません。一つのテーマを巡って、おたがいに考えていることを語り合うのは楽しい時間だからです。
* 9
「すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなる。
序論として、なぜ本なのか?というお話から。
前回までは、考え方やあり方としてのお話でしたが、
ここでは、知識という観点から本のお話をしていきます。
※今回の話は、またこの話かい?ってぐらいブログで繰り返し書いている内容です(笑)。でもこれがわたしの軸になっている考え方なんだろうな、とも思うのです。ゆえに、ご笑納いただければ幸いです。
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興味を持ったことは、短期集中でとことん掘り下げる、というのがわたしの勉強パターン。
わからないことがわかっていく過程が楽しい(苦しいときもありますが、笑)。
そして、知ることでわたしの周りの世界は 一変します。
例えば、地学を勉強するようになって、今まで気にも留めてなかった 石ころが宝石のように思えたり、何気なく見ていた景色に、自然史のロマンを感じるようになりました。
周りの世界が一変すると言いましたが、正確に言うと、世界はいつもどおりただそこにあるだけ。
変わったのは、そこに意味づけをするわたし自身。
これって、仏教で言うところの「空(くう)」と「色(しき)」なのでは、と思うのです。
仏教において、この世の一切は「空」。
「空」とは、何もないことではなく、そのものはただ「ある」だけということ。
そこにあれやこれやと意味づけをすることが「色」(と、私は解釈しています)。
石ころは、ただそこにあるだけ。これは「空」。
石ころを見て、「単なる石ころじゃん、へ?」 と思っていたのは、以前のわたしの「色」。
石ころに自然史的なロマンを感じる、これが地学を学んだあとのわたしの「色」。
この違いは、知識があるかどうかの違い。
わからないことがわかっていく過程が楽しい(苦しいときもありますが、笑)。
そして、知ることでわたしの周りの世界は 一変します。
例えば、地学を勉強するようになって、今まで気にも留めてなかった 石ころが宝石のように思えたり、何気なく見ていた景色に、自然史のロマンを感じるようになりました。
周りの世界が一変すると言いましたが、正確に言うと、世界はいつもどおりただそこにあるだけ。
変わったのは、そこに意味づけをするわたし自身。
これって、仏教で言うところの「空(くう)」と「色(しき)」なのでは、と思うのです。
仏教において、この世の一切は「空」。
「空」とは、何もないことではなく、そのものはただ「ある」だけということ。
そこにあれやこれやと意味づけをすることが「色」(と、私は解釈しています)。
石ころは、ただそこにあるだけ。これは「空」。
石ころを見て、「単なる石ころじゃん、へ?」 と思っていたのは、以前のわたしの「色」。
石ころに自然史的なロマンを感じる、これが地学を学んだあとのわたしの「色」。
この違いは、知識があるかどうかの違い。
「自然を観察するときのコツは『自然を見るためのメガネをかける』というふうにいい表せる。
自然はいつもそこにあるが、普段は目に入らないものであるからだ。(中略)
対象を意識して、初めて気づく自然がある。『メガネをかけよう』とはそういうことである。」(* 1 )
つまり、知識があると、自分を取り巻く世界を違う視点から再発見することができるのです。
そして、自分を取り巻く世界が無限に楽しいものである、ということを知ることができるのです(* 2、* 3)。
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ここからは、雑談のお話。
普段なにげなくしている雑談って、子どもがどうした、先生がどうした、○○さんがどうしたと、人に関すること、つまり、うわさ話やグチが多いと思うのです。
「会話のうちの 70 % は誰かについての噂話」(* 4 )。
だけどね、それだけじゃとってもつまらないし、子どもに見せられる姿ではない(* 5)。
一方で、うわさ話やグチ抜きで延々話せる人もいるとです。その内容とは、自然や歴史、文化の話、いわゆる教養といわれる分野のお話だったのです。こういう時間は、ほんとにたまらなく楽しいのです。
しかし、こちらにそういった知識がないと、会話が弾みません。
ゆえに、人との雑談の質を決めるのは、教養といわれる分野の知識をいかに身につけているかによる、とも思うのでした(* 6, * 7)。
これは、親子間での雑談でも同様なのでした(* 8、* 9)。
では、雑談の質を決める知識、自分を取り巻く世界が無限に楽しいものであると思えるような知識は、一体どうやって体得していけばよいのでしょうか?
必要なのは、体系的な知識です(* 10)。
ネットでは、断片的な知識しか得られない。ゆえに、そこまでには至りません。
体系的な知識を得るにはね、やっぱり本なのです。
しかも、ある程度の量を読む必要があるのでした。
--- まとめ ---
知識があると、自分を取り巻く世界が無限に楽しいものであると思える。
知識があると、雑談の質が高まる。
体系的な知識を得るには、やっぱり本。量も必要。
--- 参考文献など ---
* 1
* 2
p 122
「いじめで自殺する子どもがあい変わらず大きな問題になってますね。
子どもはまだまだ世界が小さいから、自分の力では『そこから去る』方法論が分からない。いま自分がいる場所だけがすべてだと思ってしまう。だから唯一の道は、死んで自分がいなくなることだ、と思ってしまうんですね。」
いまいる場所だけが全てではないことを、自分を取り巻く世界が無限に楽しいものであるということを、子どもにも大人にも気づいてほしい。
* 3
「第 1 章 教養は『生きる力』になる
自分の胸襟を外部に開き、外部とつながることで根を張っていく。
それが今の時代に自分を保つ最良の方法だろう。
ただ『外部』には日常の人間関係も含まれ、ストレスの温床にもなり得る。
そこで、それ以外の『外部』を求めてみてはいかがだろう。
(中略)
人間の最大の外部ワールドは『教養』である。
教養は多くの先人たちによる英知の積み重ねによって生まれたものであり、芸術性が高く、奥が深い。だから、接していて飽きないし、決してムダにはならない。」
* 4
p136「会話のうちの 70 % は誰かについての噂話」
* 5
「立ち振る舞いや、節目節目のちょっとした行動に品のよさは表れます。共通項は、愚痴や人の悪口は言わないことです。」
「物事に対する否定・肯定の基本感覚を、子どもたちは周りの大人から学ぶ。素直さとは、世界に対する肯定的な見方を身につけていること」
愚痴=否定的な見方。ゆえに、子どもの前で愚痴ばっかり言っていたら、子どもは物事に対して否定的な見方を身につけるようになる、つまり素直じゃなくなるのです。
素直で品のある子どもに育てたかったら(笑)、子どもの前で愚痴や悪口を言わないこと。
* 6
「聞き上手になるためにはその分野についての最低限の知識が必要になります。」
「他人と話すことが嫌いなわけではありません。一つのテーマを巡って、おたがいに考えていることを語り合うのは楽しい時間だからです。
そのとき、たとえ考えが違っていても、相手が知識も豊富でその知己をベースとして導かれる推論や意見を述べてくれれば、こちらも冷静に話を聞くことができます。(中)相手がもし、知識もないのに思い込みだけが強い人間だとすればどうなるでしょうか。落ち着いた話し合いにはなりませんね。」
* 7
第 4 章 「教養力」編
「雑談をするには雑学が必要だ。
広く浅い知識があれば、共通の話題を見つけやすい。」
* 8
p 34 「こどもとこじれやすい親のパターン ケース 2
雑談が少ない(つい声掛けが『指示』『命令』になりがち)。」
* 10
「すぐに役立つものは、すぐに役に立たなくなる。
日本企業が創造できなくなったのは、ひとことで言えば『教養がなくなった』から。
自分の内側の狭い専門分野の知識と経験しかなく、自分の外側に広がる世界を人間そのものの心理や本性を知りえなかったからです。言い換えれば、『すぐに役に立つ知識』しか武器として持ってなかったからです。
教養は『何かの役に立たせるため』に学ぶものではありません。
教養を身につけるとは、さまざまな分野の知の体系を学ぶことで、世界を知り、自然を知り、人を知ることです。」
--- おまけ ---
メガネの絵は、ムスメ 1(小 4)に描いてもらいました。
こういう絵の描き方も、本で。
by e-sakamichi
| 2016-07-30 08:44
| 本 & ひとりごと
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