非言語 - 10 / 真似る
2016年 07月 21日
コミュニケーションにおいて、言語が寄与するのは たったの 7 % 。
コミュニケーションにおいて大事なのは言葉”以外”。
ということで、非言語ついてのお話。
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感情はそのままでいい。だけど表現は、相手が受け入れやすい形に。
表現は選べるのだから。
……というのが、前回のお話。
今回は 二つ目の方法のお話。
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相手が受け入れやすい表現の仕方を考えるにあたっての、二つ目の方法は、「真似る」こと(* 1)。
周りの人で、素敵だなぁ、って思う人がいたら、どんどん真似てみるのです。
例えば、子どもの話を聴くとき。
こういうときに真似をするのは、おばあちゃん。
おばあちゃんが孫の話を聴くときって、目を細めて、うん、うんって相づちを打って聴くでしょ。途中で話をさえぎることもなく、否定やアドバイスもない。そうだったのね、ってただただ気持ちに寄り添ってくれる。
こういうときに真似をするのは、おばあちゃん。
おばあちゃんが孫の話を聴くときって、目を細めて、うん、うんって相づちを打って聴くでしょ。途中で話をさえぎることもなく、否定やアドバイスもない。そうだったのね、ってただただ気持ちに寄り添ってくれる。
だからね、自分の子どもの話を聴くときは、おばあちゃんに憑りついてもらって(笑)、おばあちゃんになったつもりで聴いてみるのです。
これは、ほんとに効果てきめんで、子どもも嬉しそうに話してくれます。
これは、ほんとに効果てきめんで、子どもも嬉しそうに話してくれます。
その顔を見てるとこちらも嬉しくなります。
今度は、子どもが何か新しいことにチャレンジするとき。
こういうときは、お茶の先生の真似。
失敗しても怒らない。
「天から長老はなし。初めから上手な人はいないんだよ。」と、先生の言葉と声のトーンで言ってみる(* 2)。
そうすると、子どもは失敗しても委縮しない。失敗したらまずは対処すること、そしてそこから学ぶことを体得していくのです(* 3)。
週末の皿洗いと皿拭きは、子どもらの仕事。
皿を割っても、怒りません。後始末の仕方を教えて、再発防止案を一緒に考えるだけ。怒鳴っても意味はない。
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今までの表現の仕方で伝わらないなと思ったら、変えてみる。
「変えられるものは、変える。
変えられないものは、折り合い方を考える」(* 4)
変えられることって案外に多いんですよ。気がつかないだけで(* 5)。
よって、素敵な人を観察して、真似をしてみることで、打開策が見つかるかもしれません。
少なくとも、うまく伝わらない今よりはましになるはずです。
で、この真似をするということ、実は「形から入る」ことなのです。
楽しいから笑うのではなく、笑うと楽しくなる。だからまずは笑ってしまえ、というのと 同じ。
形から入ることによって、自分の感情も変えることができるのです。
ゆえに、相手の受け入れやすい表現の「形」をいろんなところで探してみましょう。
でも、実生活では、第三者として観察するという視点がなかなか持てませんにょね。
では、どこで探すか……。
ということで、次のお話へ続きます。
--- まとめ ---
相手が受け入れやすい表現の仕方を考えるにあたっての、二つ目の方法は、「真似る」こと。
周りの人で、素敵だなぁ、って思う人がいたら、どんどん真似てみる。
真似をしてみることで、打開策が見つかるかもしれない。
少なくとも、今よりはまし。
--- 参考文献など ---
* 1
「何事も実体験をとおして会得してこそはじめて自分のものとなるのだ。
今は文明の節目で、人類の生活が大きく変わりつつある。しかしそんな時代でも、いや、だからこそ、自ら会得してきたことに勝るものはないと思う。なぜならば、それらは、他の誰でもなく、自分自身の身についたところだからだ。」
失敗した分だけ会得できる。
失敗した分だけ会得できる。
* 2
「ドロドロとした感情をともなわない、的確な指導の仕方
人を上手に育てることのできる人は、『今はこれでよい』というメッセージと『これからはこう改善しよう』というメッセージを同時に出すことができます。言われたほうは、自分のがんばりを認めてもらったと同時に『もっとがんばろう』とやる気を感じることができるのです。これが人を最も成長させる形。
自分に自信のある人は、どんな現実でも受け入れられる。
他人に対しても、『今はこれでよい』と言うことができる。他人にとってもあらゆる現状が必然だということを知っているから。
きちんと苦労した人には、そういう『教え上手』が多い。」
* 3
(要約)
「最も『伸びる人』とは、『戦略思考』の人。
うまくいかなかったとき、基本的には『自分の力不足だ』と反省するのだが、物量思考と決定的に違う点は、努力が足りなかったと漠然ととらえるのではなく、即座に、次に指す一手に思いを馳せることが習慣化していることだ。
いわば、失敗を楽しむタイプ。」
失敗から学ぶことができれば、それは失敗ではない。
だから、失敗しても怒らない。
* 4
* 5
「私たちは、家族や社会からの暗黙のうちに請け負わされている基準や規範、視点によってさまざまな物事を判断し、行動しています。
この無批判的に習得された自分の枠組みに気づき、それを自覚的に再構成する過程が哲学対話の意義です。
そして、他者の存在こそが、自分の束縛されている枠組みに気づかせてくれます。」
by e-sakamichi
| 2016-07-21 18:27
| 本 & ひとりごと
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