『石の来歴』 - 7 / 物語ではなくて

この漱石解説本で奥泉さんの考えを知ると、『石の来歴』も読み方が変わるのですぅ~。

さて、どう変わるのか……。

石の来歴 (文春文庫)

奥泉 光/文藝春秋

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『石の来歴』を読んで、消化不良だった点。

それは、長男の死に関するくだり。
惨殺された長男の死を回顧するにあたり、そこに戦争体験が重なって、まるで主人公が長男を殺害したように思わせるような場面があったのです。

しかしそれは、読み方によってはそう解釈できる、というぼかしを含んだ流れでしかなく、断定ではありません。
そこが消化不良だった点の一つ目。

そして、次男が荒んでいった結果、最後がどうなるかも書いてありませんでした。そこが消化不良だった点の二つ目

よって、物語自体をすっきりと読み終えることができなかったのでした。

ゆえに、今回の読書感想文では、「この物語に、ストーリーとしての面白さを求めるのは間違いで、作者の“美”の定義を求めていくのが王道のようだ。」

という論旨に無理やり(笑)持っていったのでした。


なぜ物語が消化不良だったのか、
奥泉さんが書いた漱石の解説本でわかりました。

奥泉さん自身、この小説は物語を重視して書いたものではない。
面白がってほしいのは、別のところにあった。

きっと、多分。

夏目漱石の『草枕』のストーリー進展の遅さにしびれを切らし、読み終えることができなかったわたしに、奥泉さんはこう教えてくれました。

「『草枕』は「反小説の物語」。
つまり、ストーリーなんてものは重視していない」と(p 46 )。

そして、同本の『吾輩は猫である』の解説でも奥泉さんは、

「p 26 ストーリー至上主義を捨てよう

小説にとって一番大切なのはストーリーじゃない。(中略)
むしろ、小説というのは細部が面白いのだと考えて、
部分部分の面白いところ、楽しいところ、気に入ったところを探して読んでいくように心がけるといいと思うよ。」

と書いていたのでした。

さらには、p 172 にはこうも断言しています。

「p 172 小説は『物語』と『文章』で成り立つ

小説を読むことは物語を読むこととイコールではない。(中略)
物語を楽しむだけでいいんだったら、テレビドラマでも映画でもいいはずだよね。(中略)

小説というものの一番の特徴は何かといえば、

小説は文章でできているということ。

つまり、物語を無視して文章そのものを楽しむことができる。

僕が全部読まなくてもいいと言ったり、漱石が美的なものを感じ取ってくれればそれでいいと言ったりするのは、

小説が物語と文章とで成り立っていることをふまえた上で、
文章を読む楽しみを追及してほしいからなんだよ。

物語だけを読まれたんじゃ、作者としては面白くないんだ。『物語はよく分かんなかったけど、面白い文章を発見しました!』と言ってもらえる方がひょっとしたら嬉しいかもしれない。」


そう、だからこの『石の来歴』は、物語ではなく、文章を楽しむ小説だったのです。

奥泉さんがミステリー作家であったことも併せて考えると、最初に述べたような消化不良になるような物語にはしないはず。きっと多分。

ゆえに、この小説では、文章を楽しんでほしい、という意図をもってして、物語を不明瞭にした感じさえしたのでした。

もう、奥泉さんたら!(笑)

まだ続きます……。








by e-sakamichi | 2017-08-17 02:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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