富士はよくやってる(くらし部門)

富士山を見ると、絶対的な肯定感を感じる。
どう言葉にしてよいかわからないけど……

という主旨のことを書きました。

これにピッタリの言葉を見つけたー!
p 284「私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見ていた。富士は、のっそり黙って立っていた。偉いなあ、と思った。

『いいねぇ富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやっているなあ。』富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥かしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。」


「富士はよくやってる」って、太宰さんナイスよ~!(笑)。

でも、そう、そうなのよー。
どんなに言葉を尽くしても、この富士山の絶対性は表現できない。
その表現できなさを「よくやってるなあ」で表現したところがナイス!Like!

「念々と動く自分の憎愛が恥かしく」ってとこまではいかないのですが(笑)、
悩むことがあっても、富士山を見ると、「まぁいいか」って思えるのよね。

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太宰さんの作品をまともに読んだのは、実は初めて。
高校のときに『人間失格』を読んだけど、ドロドロが怖くなってやめた経緯もあり、嫌煙してました。

この『富嶽百景』は紀行文のような文章だからか、
さらっと、かつ、言葉の心地よさを感じながら読めました(* 1)。

さらっと、かつ、言葉の心地よさもありながら、
言葉の精査ぐあいだとか、
平易な単語なのにつなぎ方の妙だとか、
そういうところがさすがだなぁと、思ったのでありました。

にゃはは。

富士はよくやってる(くらし部門)_e0201060_07193927.jpg

--- 参考文献など ---

* 1

晩年・走れメロス (1985年) (日本の文学〈60〉)

太宰 治/ほるぷ出版

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解説を読んで納得。
心地よく読めたのは、やはりこの作品だったからのようです。

『富嶽百景』の解説より
p 365「ここにはもう、初期の太宰の自虐的な絶望の呻き声や、自己呵責の苦渋にみちた告白や、人間への懐疑と不信のことばは影をひそめ、

明るく、単純な、澄みきった世界が
軽妙な才筆によってとらえだされている。

作中で、作者が『素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの』を求め、
それを『さっと一挙動で摑まえて、そのまま紙にうつしとること、それより他には無い』と考えたという、

まさにその『単一表現の美しさ』が実現されたような作品になっている。」



by e-sakamichi | 2016-12-31 06:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

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