富士はよくやってる(くらし部門)
2016年 12月 31日
富士山を見ると、絶対的な肯定感を感じる。
どう言葉にしてよいかわからないけど……
という主旨のことを書きました。
→ 絶対的な肯定感
これにピッタリの言葉を見つけたー!
p 284「私は、部屋の硝子戸越しに、富士を見ていた。富士は、のっそり黙って立っていた。偉いなあ、と思った。
『いいねぇ富士は、やっぱり、いいとこあるねえ。よくやっているなあ。』富士には、かなわないと思った。念々と動く自分の愛憎が恥かしく、富士は、やっぱり偉い、と思った。よくやってる、と思った。」
「富士はよくやってる」って、太宰さんナイスよ~!(笑)。
でも、そう、そうなのよー。
どんなに言葉を尽くしても、この富士山の絶対性は表現できない。
その表現できなさを「よくやってるなあ」で表現したところがナイス!Like!
「念々と動く自分の憎愛が恥かしく」ってとこまではいかないのですが(笑)、
悩むことがあっても、富士山を見ると、「まぁいいか」って思えるのよね。
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太宰さんの作品をまともに読んだのは、実は初めて。
高校のときに『人間失格』を読んだけど、ドロドロが怖くなってやめた経緯もあり、嫌煙してました。
この『富嶽百景』は紀行文のような文章だからか、
さらっと、かつ、言葉の心地よさを感じながら読めました(* 1)。
さらっと、かつ、言葉の心地よさもありながら、
言葉の精査ぐあいだとか、
平易な単語なのにつなぎ方の妙だとか、
そういうところがさすがだなぁと、思ったのでありました。
にゃはは。
--- 参考文献など ---
* 1
解説を読んで納得。
心地よく読めたのは、やはりこの作品だったからのようです。
『富嶽百景』の解説より
p 365「ここにはもう、初期の太宰の自虐的な絶望の呻き声や、自己呵責の苦渋にみちた告白や、人間への懐疑と不信のことばは影をひそめ、
明るく、単純な、澄みきった世界が
軽妙な才筆によってとらえだされている。
作中で、作者が『素朴な、自然のもの、従って簡潔な鮮明なもの』を求め、
それを『さっと一挙動で摑まえて、そのまま紙にうつしとること、それより他には無い』と考えたという、
まさにその『単一表現の美しさ』が実現されたような作品になっている。」
by e-sakamichi
| 2016-12-31 06:00
| 本 & ひとりごと
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