空と色 / マインドフルネス考 - 3

マインドフルネスって、アレと共通するのでは?
というお話。

そのアレとは……
「習い事に見る『空』と『色』」で考察した
「空」と「色」だと思ったのでした。


仏教では、この世の一切は「空」と言う。

「空」とは 何もないことではなく、
そのものはただ「ある」だけ ということ。

そこにあれやこれやと
意味づけをすることが「色」。

(と、私は解釈しています)


マインドフルネスの定義再び。

「『今という瞬間』に余計な判断を加えず(中略)
自分の人生がかかっているかのように
真剣に集中して注意を向けること」(* 1)

「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
評価をせずに、
とらわれのない状態で、ただ観ること」(* 2)


今という瞬間は、ただあるだけ。
「空」の状態。

そこに、判断や評価をつけてしまう。
これが「色」に相当するのではないかと思ったのでした。

よって、マインドフルネスな状態の説明として、
「習い事に見る『空』と『色』」で考察したことが適用できるのではないかと思ったのでした。

以下、「習い事に見る『空』と『色』」再出(* 3)。

---

「空」と「色」的考え を
習い事の 上達過程に 適用してみました。

step 1) 空→色

やったことがない・意識してなかったことに、
一つ一つ 意識づけをする過程。

「空」を「色」にする過程。

書道でいうと、はね・とめの練習。
茶道でいうと、ふくささばき等の 割り稽古。
バドミントンでいうと、
素振り・フットワーク・トス練習。

繰り返し、繰り返し練習する時期。


step 2) 空→空

繰り返し練習したことで、体が覚えた状態。
イチイチ考えなくても、体が動く状態。

つまり、「色」が入らず
「空」が「空」のままで 過ぎていく状態。

書道:スラスラかける。
茶道:お手前は 流れるように。
バドミントン:足が出る。


step 3) 空→色

思考したとたんに間違う、という時期。

今まで、スラスラ書けていたのに、
気になるところができて書けなくなる。

お手前の、細かい動作が気になるようになる。

そう、今まで 意識してないところに
気がつくようになったゆえに
動作が 滞る。

これは、前進のための 一時停止。

ゆえに、
細かいところを 意識をして、
繰り返し練習をする。


step 4) 空→空


更なる高みに 到達したとき。

体が 勝手に動いている状態。

私の中のコメンテーターが
あれこれクチを出すことがない状態。

この「空」が「空」のままで物事が 完了する様を
無心・集中 と呼ぶのかもしれない…
というのが前回までの考察。

この「空」が「空」のままで完了する様を
マインドフルネスな状態、と呼ぶこともできそうです。

よって、マインドフルネスな状態を目指すには、
空→色→空をくりかえして、
最終的には、
体が勝手に動くレベルまで
物事を高めていくことが必要なのではないか
と思ったのでありました。

じゃぁ、逆にマインドフルネスではない状態の例を見ていきましょう。

お話は次に進みます。


--- おまけ ---

茶道では、半畳 3 歩と決まっています(流派にもよるけど、歩数は決まっている)。

半畳 3 歩だと、 1 歩 が 30 cm 。
ふつうにズカズカ歩いたら 1 歩 は 40 cm ほど。
よって、意識もせずにズカズカあるいていたら、即アウト。

したがって、一歩一歩意識をして歩いているのです。
初心者であるわたしは。

この一歩一歩意識して歩いている状態は、
マインドフルネスの定義的に言うと
「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け」という部分に適合している。

しかし、「余計な判断を加えず」のところはブブーかも(仮)。

意識をするのは初心者ゆえ。
練習を重ねることによって、歩数を数えなくても 半畳 3 歩になるように、体が勝手に動いてくれる(はず)。
「空」が「空」のままに過ぎ行くはず。

そこが最終目標。

空と色 / マインドフルネス考 - 3_e0201060_13543394.jpg

--- 参考文献 ---

* 1


* 2


* 3



by e-sakamichi | 2016-12-18 06:00 | 本 & ひとりごと | Comments(0)

Web 内覧会、家事効率化、生き物、石ころ、お茶、本。大1男子&高1双子女子の母。


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