漱石ネタ - 5 / 講演から
2016年 10月 22日
そもそも、なぜ夏目漱石を?
それは、あちこちの本で引用されていたから。
あちこちで引用されているということは、
一度読んでおけば、あちこちで楽しめるということ。
漱石さんは適用範囲の広い分野ということ。
よって読もうと決めた次第。
特にこの方の影響が大きいです。
姜尚中さん。
タイトルは「悩む力」
ベストセラーとなったこの著書と同じタイトル。
この方、ほんとに漱石さんがお好き。
講演でも、漱石作品の話がバンバンでてきた。
『こゝろ』『草枕』を読んだだけでもわかった部分が多かったので、
読んどいてよかった。
で、この方曰く
「文学に答えは書いてない。
答えが書いてあれば、それは説教だ」とのこと。がはは。
現代人は何でも早急に答えを求めがち。
だけど、悩んだっていい。
保留は保留のままでもいい。
そういうことを文学は教えてくれるのかもしれません。
そして、この方のお話で「あわれ」という言葉が出てきました。
(漱石の何かの作品の言葉だったと思うのですが、うろ覚え)
この言葉が後になって響いてきましてね。
聴いてください、じゃらーん。
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人の心への寄り添い方って、三段階あると思うのです。
一段階目は、共感。
「あるある」「わかる」というのが共感。
自分も同じ体験をしたからこそある感情。
逆に言うと、同じ体験をしていないと、でてこない感情なのかも。
これが一番親密ではあるが、
こればっかりを相手に求めていたら疲れるし、
同じ体験をしていないと共感できないのであれば、
相手に寄り添える頻度は少なくなる。
二段階目は、同情。
「あらまぁ大変ね」という感じ。
同じ体験をしたことはないけど、
相手の感情を想像して寄り添ってみるということ。
しかし、安易な同情には違和感を感じてしまう。
そこにはその人の価値判断が伴っているようで。
そして、三段階目が、あきらめ。
あきらめとは真実を明らかにするというのが本来の意味。
よってこの場合、自分の価値判断や感情を入れずに、ただ相手の状況をありのままで受け入れるという意味で使っています。
「そうだったんだね」という感じでしょうか。
で、先ほどの「あわれ」もこのあきらめに近いのではないか、と思ったのでした。
「あわれ」と感じるときに、
そこに相手への価値判断はない。
いいも悪いもなく、ただ、相手の現状を丸ごと認めている状態。
人の心への寄り添い方は、三段階。
親密度が高い順に、共感>同情>あきらめ(あわれ)。
共感という最高度の親密度を他人に求め、
それが得られないなら全否定という行動に走りがちだけど、
あきらめ(あわれ)という距離感もあるんだと思っていれば、
人に期待しすぎて、勝手にがっかりしたり勝手に怒ることもなくなるんじゃないかな、
と思ったのでありました。
なーんてね。
以上で、漱石ネタおしまい。
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姜尚中さんの本では、これが一番好き。
この方の本業の政治の本は、全く読んだことがありません(笑)。
by e-sakamichi
| 2016-10-22 06:00
| 本 & ひとりごと
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