非言語 - 2 / 優しさの定義、ふたたび

子どもが泣いているとき、

どんなに言葉を尽くしても、
いや、言葉を尽くせば尽くすほど、泣いている子の気持ちから離れてしまう。

ゆえに、ただ黙って寄り添うだけでいい。

……というお話を、前記事でしました。



言葉はコミニュケーションの手段ではあるけれども、現実のコミュニケーションでは言葉”以外”によるもの、

つまり非言語コミュニケーションによるところが多いのでは……と、このごろ強く思うのです。

このことに気がついたのは、優しさの定義について考えたときでした。

以下、優しさの定義、ふたたび。

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子どもが転んだときにどう声かけするか?
これ、観察するとおもろいのですよ。でね、見ちゃったの。

「ちゃんと見てないからでしょ。自業自得。そんなの痛くない。」という声かけを。

転んだ子が「痛かった」と感じたことを否定して追い討ちまで。これは優しくない。

じゃあどうする?

「痛かった」という相手の感じたその瞬間に寄り添う。「痛かったね」と、ただ寄り添う。

まずはそれだけでよいのかもしれない。

その瞬間に相手の気持ちに寄り添う。それが「優しさ」だと思ったとです。

ここで「優しさ」の定義を、相手の気持ちに寄り添うまでにとどめたのは、その後の行動については、その人の経験が出てしまう、と思ったからです。

風邪引いたときに、寝てなさいで終るのか、ゼリーを買ってきてあげるのか、リンゴのすりおろしまで作ってあげるのか…。

人はされたことしかできない。残念ながら。

そして相手のしてほしかったことと違うことをやってしまって、相手が「そうじゃないのに」って怒り出すことも多々ある。

せっかく優しくしたのに、相手に責められるなんてね。そうなると、自分も相手を責めてしまう。

あぁ、負のスパイラル。

よって、まずは寄り添う。

言葉が邪魔をするなら、その人のほうに顔を向ける、近くに寄る。それだけでもいい。
言葉が邪魔をするなら、おうむ返しだけでもいい(→ )。

まずは、相手の気持ちに寄り添う。

そこから始めてみるとただ寄り添うだけが難しいこと(苦笑)、でも意識するとできるようになること、

いちど寄り添ったら、何かしてあげたいと心の底から思えることを、実践する過程で知ったのでした。

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現実のコミュニケーションでは言葉”以外”によるもの、つまり非言語コミュニケーションによるところが多いのでは……という問い。

ということで、今回の考察シリーズは「非言語コミュニケーション」。

さりげなく(!?)前記事から始まっています。


--- おまけ ---
非言語 - 2 / 優しさの定義、ふたたび_e0201060_07455608.jpg
転んで泣いている相方を、トントンして慰めている ムスメ 2。

当時 1 歳 4 ヶ月。
こんなチビちゃんでも、相手の痛い気持ちに寄り添うことができたのね。
それとも、彼女だからか。

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優しさの定義シリーズ









Commented by miya at 2016-07-13 11:17 x
再び。

寄り添うという行為
やっぱりやろうと思って
出来ないなと思います。

うちの双子
女子は自然と寄り添うという行為が出来るようです。男子は追い討ちかける発言してこじれます(笑)
大丈夫?という声をかける…
それだけなんだけど。
わたしも追い討ち発言してたりするので
改めようと思った次第です。
Commented by e-sakamichi at 2016-07-13 20:56
miya さん

寄り添うという行為、
うん、なかなかに難しい。修行、もしくは苦行です(笑)。

男子、んだんだ!!!
女子はやっぱりねぇ、なのかしらね。
追い打ち、うんうん。あるある。あるあるボタン連打。

個人差なのか、男女差なのか。
いずれにしろ、対応は個々に違うということかにゃぁ、と改めて思った次第です。
by e-sakamichi | 2016-07-13 08:54 | 本 & ひとりごと | Comments(2)

Web 内覧会、家事効率化、生き物、石ころ、お茶、本。大1男子&高1双子女子の母。


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