興福寺 北円堂 特別公開 2015.05.05
2015年 05月 12日
奈良国立博物館で 涼んだ後は、
興福寺へ。
寄った、というより、
通り抜けようと思って(ゼイタクな)。
興福寺は 藤原氏の氏寺。
「阿修羅像は みんなで見にこようね」
ということで、今回はスルー。
興福寺 南円堂。
西国三十三所観音霊場の第九番札所。
813 年 建立。
現在の建物は、四度目の建物で 1741 年。
不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)、
四天王像。
いずれも国宝。
特別公開は、10月17日のみ。
で、南円堂を見て思い出した。
北円堂は、GW 特別公開してる!
ということで、北円堂。
興福寺伽藍で 今も残っている堂宇の中では
一番古い。
721 年完成。
1049 年、1180 年(南都焼き討ち)で 2 度焼失。
現在の建物は、1210 年。
「北円堂の諸像は、
1180年(治承4年)南都焼討ちの後、
運慶一門によって 再建されました。」
北円堂 パンフレットより。
お目当ては、
無著・世親立像(むちゃく・せしんりゅうぞう)。
運慶の代表作。
日本彫刻を代表する名品の一つと言われている。
はふ~(萌)。
ご本尊は、弥勒如来坐像。
これも、鎌倉時代の像。
四天王立像は、木心乾漆造で、
平安時代(791)年の製作。
彩色がところどころに残っている様が、
間近で見れました。
満足!
以上、奈良のお話 おしまい。
--- 自習メモ ---
1180年(治承4年)
平重衡(たいらのしげひら)の南都焼討ちで、
多くの建物・仏像が失われた。
鎌倉時代になって、
その復興がなされた。
ゆえに、鎌倉時代の仏像の傑作が、
奈良には多い。
で、あってます?
編集長(笑)
心身ともにリラックスしまくった状態で「ふむふむふむ」って読んでたら、最後の最後でまさかのご指名!(笑)
そうそう、その通りでございますよ。
南都焼き討ち…個人的には日本史全体の中でも大変悲しい事件のひとつです。
でも破壊と創造は不可分かつ、人の世の定めでもありまして、鎌倉時代の復興期には、いわゆる慶派といわれる、運慶・快慶(習いましたよね?)などの優秀な仏師とその弟子達が大活躍したわけですよ。
超有名な東大寺南大門の金剛力士立像(国宝)なんかは、まさに慶派オールスターズによる作品ですね。
そんな経緯がありまして、奈良には鎌倉時代の優れた仏像や建築物が数多く残っているというわけです。
ちなみに。
以前おすすめしてご堪能いただいた秋篠寺の技芸天像なんかは非常に面白くて、頭部が奈良時代のオリジナル、首から下は鎌倉時代の補作で、オリジナルが元々あのポーズだったかどうかは定かではないんですよね。
それにしても、頭部しか残っていない約300年前の仏像から、あの流麗なフォルムをイメージして作り上げて、ビシッとくっつけちゃう鎌倉時代の仏師の才能って、すごいと思いません!?すごいと思いません!?(あ、ついヒートアップして2回言っちゃいました)
秋篠寺の技芸天像は「後づけ」の仏像ゆえに国宝に指定されなかったという説もあるんですが、僕なんかは逆にこの「時を超えた匠の共演」みたいな人間の叡智と営みに感銘を受けちゃうんですけどね〜。
…あ、コメント長過ぎ?(笑)
ではまた m(_ _)m
びっくりしましたか~(笑)
南都焼き討ちとの関係、やっと自分のなかで腑に落ちました(今頃、てへへ)。
>破壊と創造は不可分かつ、人の世の定め
おおぉ。名言。
破壊があったからこそ、創造(復興)があり、
ゆえに優秀な仏師が育ち、名作が生まれた、ですね。
金剛力士像を改めて見てたら、
ゴウゴウという風の音、ドォーンと足を踏み出す音、カッと目を見開く音、
いろんな音が見えました。
聞こえたではなくて、見えた。そう、漫画の効果音みたいに(笑)。
無著・世親立像は、バカボンドの漫画の絵みたいだとも思ったり。(関連させるのが そこあたりなのが、アレですが、笑)
>秋篠寺の技芸天像、「時を超えた匠の共演」
おぉぉぉぉ(再)
すごいと思います!すごいと思います!(あっ、2回言っちゃいました)
そういう視点を知ると、また会いに行きたくなりまする。
そうそう、秋篠寺の技芸天像をおすすめしていただいたとき、
編集長が五木寛之の文章を引用されてたでしょ。
それまで、五木氏の本は 人の闇に焦点を当てすぎてる感があって(とはいえ、青春の門しか読んでませんでしたが)嫌煙していたのですが、あの文章を拝見して 読んでみようと思ったのです。
それで、梅原氏との対談を読みました。
で、その中で よい言葉と、新しい視点を得ることができましたのでしゅ。
あっ、あと、富士宮のクラッシックカー勢ぞろいも見に行きました(笑)。
重ね重ね、感謝・感謝でございます♪
にゃはは。